7/17/2011

POTAGER(ポタジェ)のお話8 大切なもの

(このポタジェは2000年から旧ホームページで綴っていたものを、こちらに転載しています。)

夢を見た。
ケナフが蕾のまま茶色く枯れる夢。
朝起きたとき、なんだか嫌な気分だった。夢の中で私は泣いていた気がした。
次の日は、ポツンと淋しく一つだけ咲く夢。
2日もケナフの夢を見るなんて、よほど開花を気にしているんだ!って
自分でも納得した。

来年用にチューリップの球根を買った。
いろいろ選んでいたらかなりの数の球根になってしまったので、今のポタジェの横に
花壇を作ることにした。ボーダーガーデンにしようと、幅50cmくらいで2mほどを耕した。
耕していると、気にしている事や嫌な事を忘れられる。これは是非試してみて。
ちょっと辛いことがあると私は庭へ行き、そこで時間を過ごす。不思議と嫌なことを
その間だけ忘れられる。「土いじり」を療養の一環に取り入れる所があるというが、
本当に精神的に落ち着くことに気が付いた。小さな鉢や、プランターでも良いと思う・・・・。

耕してから、石灰で中和させ、たい肥も混ぜ込んでおいた。
耕すといろいろな根が出てきた。真っ白くて特に綺麗だったのは、ヒルガオの根っこ。
コニシキソウも、クローバーにも、ヒルガオにも「ごめんね」って言いながら、耕していった。
あぁ、きっと君たちはまた、困らせてくれるほどたくさん繁殖するんだろうね。
良いよ。出てきたら、その時はまた会議を開こう。
ふと見ると、耕すスペースの所にスミレもいた。

スミレをそっと根を痛めないように違う場所に移した。
移してから気が付いた・・・・・。
同じようにこの場所にいたコニシキやクローバーは移植しなかった。
スミレは、植え替えて育てたいと思った・・・・。
私は知らず知らずのうちに、この子達を自分の基準で選んでいた。

私の基準って何だろう?可愛いから?綺麗だから?
大切に育てているハーブでも、時期が来たら食べちゃうんだよ。
今、チューリップを育てるためにヒルガオや、コニシキにはさよならをいった。
私の大切なものの基準って何だろう?
時には蜂や蝶が可愛くて、蝶の為に自分が育てていたパセリを与えていたり・・。
私の基準って、その時その時で大切なものまで変わってしまうのだろうか?
私は以前自分が「よだか」になってしまうのではないかと悩んだことがあったが、
そんなことには全然ならないなぁって、今思った。

大切なものってそれぞれの立場で、みんな違うんだね。
栽培して生計をたてている方は、私のようなのんびりとしたことなど言っていられない。
大切なものは作物で、蝶の幼虫が害虫だ。
そして、その作物を守るためには、野草はあくまでも「雑草」である。
今更ながら、そんなことを改めて考えるなんて・・・・・。
でも、「大切なもの」これからも、時には考えてみたい。

新しい花壇が出来た。
やっと種を植えたり、球根を植えたり出来る。
ふかふかになったボーダーガーデンにはまだ何も無い。
ここに来年はどのような花が咲き、実がなるのだろう。ちゃんと計画どおりにいくかな?
そして、きっとまた「fujiさん!!私たちの場所だったのよ!!、まったくもう~!!」
って、怒りの声を上げながら野草達も顔を出してくることだろう。
そうなることを願っている訳ではないが(笑)そうなって出てきたら、嬉しいような気もする。
コニシキたちは、別の意味で「大切な存在」だったのかもしれない・・・・・。

~To be continue ~

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